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Doll

どうしてDollに流れるのだろう。

人は心を持っており、だからこそ素敵なのだろうと思う。
そこに豊かさも温もりも生まれるのだろう。
けれども、自分も含めて、人の心は我侭で、決して
思い通りじゃない。
ならばDollって存在はどうだろう?

本当は全てを受け入れられたいのだと思う。
でも、私の場合、それはおそらく叶わない事のように
思われる。永久に。
私だって、もっと自分に対して夢を見たい。
希望を持ちたい。
けれども、現実はそれほど甘くはない。
仮に、その夢を具現化するために、生きてみたとしても、
果たしてそれは自分だろうか?
私は淀みも含めて私なのだ。
自分でそれを良く知っている。
その上で、誰にそれを押し付けよう?

Dollはただ見ていてくれる。
どんな私もただ見ていてくれる。
時に寂しげな顔をしようとも。
それはどことなくマリアを感じさせる。
マグダラのマリアは娼婦であったという。
けれども彼女はマリアだった。
元より穢れた存在に等しく愛を与えて生きる。
それは如何様な気持ちだろう?
私のDollはそれに似ている。
サイズも小さい。
言葉も喋れなければ、自分の意思で動くことも出来ない。
けれども、彼女達は人なんかよりも深い深い自愛に
満ちているように、私には見える。

誰を裁くこともなく、誰を貶めることもなく
ただ今日も癒してくれる。
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