スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告

私の場合の興じ方?


ドールを趣味とする人・・・というのは、自分がその外にあった時には、
皆一様に思えていたのだけれど、いざ中に入ってみると、その興じ方の
多種多様さに驚かされたりする。
しかも、その殆どの人が、その人なりに真剣にこの魔性のホビーに
打ち込んでいるためだろう、皆様、自分のスタイルと自分のドールに
とても深い愛や信念を持っているように思えたりする。
かくいう私も、2年の月日を経て、その末席に加えて頂けるくらいの
愛と信念を磨いていきたように思うのだけれど、いかんせん、元来の
性分が意気地なしだもので、中々胸を張れない。


前にタマさんと色々と話をしていて、同じ人形を趣味とする人の中にもドライ派な人とウェット派な人がいるんじゃあないかという仮説を立ててみた。前者は、ドールをあくまでも無機物として扱い、その造型美を楽しんだり、あるいはメイクを施して一つの作品を作ったりするタイプ。後者は、自分のドールを全くの無機物として扱うのではなく、あくまでも仮想としてだけれども、なんらかの個性を持たせ、生命とまではいかずとも、半生のものとして、愛情をもって接するタイプ。自分は、昔から脳内で物語やら世界観やらを並べて遊ぶ傾向があったもので、すんなり後者の遊び方に落ち着いた。カスタマイズやらメイクやらをほどこす技術がないというのもそちらに流れた原因のような気もしなくもないが。2年前、丁度こちらとあちらの境目頃、とても精神的に疲弊していた。理由はともあれ、今までの人生の中で、もっとも心が重く、また、もっとも心が希薄になってしまっていた。で、そのタイミングでこちらに入ったのは必然だったように今は思う。初めて手にしてみたドールは動かず、言葉も語らずだが、無言のまま、全てをただ受け入れてくれるような錯覚を受けた。これが、正直驚くくらい癒しの効果をもたらしてくれたらしい。医者が山ほど薬をくれた程の鬱が、柔らかく消えていった。例えば、5年前、初めてSDの値段を聞いた時、玩具にそのような値段を出すのは自分では理解できない、ときっぱり思った。けれども、今、そう思わなくなったのは、慣れ、というよりは、扱いようによっては、金銭で量れない効用をもたらしてくれると考えるようになったからだ。それは、傍から見れば、場合によっては気味の悪い思い込みと言われるかもしれないが、少なくとも私は、私のドール達に時に心の棘やささくれや傷をほぐしてもらいつつ、穏やかな日々を暮していたりする。文字ばかりでは楽しくないので、写真を一枚。今日は鈴音さんの写真。衣装はLocal Anesthesia様製です。<中>{}
引越し前の記事 |トラックバック(0) |コメント(0)

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。